1930/4/27
いつこの恐怖がなくなったのかわからない。戦争の時が最初か?
ルーイは、ケンブリッジで借りた部屋で、横になっていた。比べるまでもなく、空から爆弾は降ってこないし、轟音も聞こえてこない。この安全な仮住まいのベッドで、ルーイは成長を実感していた。なにせ、ひとりで横になって微睡むこともできるようになったのだ。不眠の夜もあったが、このいくぶん広い天井や白く清潔な壁を眺めながら、ルーイは戦場にいた時のある決意を振り返っていた。数日前に奇妙な夢を見たからだった。
私は自分が世話係をしているらしいラバを引いていた。――私はラバを短いロープでつなぎ、ラバが壁(私はその上に座っていた)に頭をぶつけておとなしくなればいいと自分は願っているのだと考えていた。私は絶えずラバに話しかけ、その際ラバを「検査官」と呼んでいた。――そこで目が覚めたとき私ははじめて、人は決してラバを検査官と呼びはしないことに気づいた。
ラバは、イエスキリストが神殿に入場する際の乗り物なのだから、ルーイが夢でなにを整理していたかはすぐ思い当たった。あんな場所にいて信仰を疑わない人がいるだろうか。ルーイにはもうひとつ心残りがあった。
私にはラムジーの精神がとても嫌だった。――他方で私にはR.[ラムジー]に対するある種の恐れがあった。――彼の批判は何かを助けて先に進ませるものでなく、押しとどめ、酔いを醒ますものだった。――彼に何かを明らかにしようとして徒に長い間苦労しているのに、その挙句彼は突然それに対して冷淡な身振りを見せ、そんなこと当たり前じゃないか、と言うのだった。
ルーイは別にラムジーを心では嫌ではなかった。ただ彼の精神をたいそう嫌った。自分の最も大事にしているところを、彼は無価値にし冷たく拒否し何も見ようとも感じようともしないのだ、彼の身につけた教養の範囲では。そう、ラムジーはフロイトを好んで読んでいたが、ルーイはフロイトをいいとも思わなかった。
確かにフロイトは実にしばしば間違っているし、彼の性格はといえば、多分下劣な人間かそれに近いものだろう。
ルーイは、もしラムジーがフロイトを好まなければ、ラムジーを嫌わなかったはずだと思っていた。だって、ラムジーほどルーイの論文を丁寧に読んでくれた人はいなかったし、自身より優れた知性の持ち主であると思われたからだ。つまり、心では尊敬していたのだ、ルーイの半生には興味もなさそうだったが。
この安全な部屋で、ルーイは戦場での出来事を思い出していた。さすがに強烈に覚えているから、どこでだって思い返せることなのだけど。
ルーイには、世界が少なくとも二つに分類できた。いま目の前で起こっていることと、過去のことだ。戦場にいるのだから、分けるべきだった。つまり、いま目の前で起こっていることのほうこそが世界であり、そんな認めたくないほど矮さく歪んだ世界の外側に、過ぎ去った思い出があまりに豊かに存在した。生まれた家と兄姉、出会った芸術家たちとその作品、学友たち、プロペラの研究とその動機となった出来事。今となっては、過去を求めるよりも未来に世界の重きを置くのだが、いつ終わるとも知れない命をかけて戦地にいたのだから、見ようとも思えない。
そうして、ルーイは1行目を記すとともに決意したのだ。いま起こっている全てこそ、世界である。と。
ルーイには、豊かな芸術理解の教養があった。実家が裕福だったこともあり、芸術家を招いていたからだ。多くの作品とともに、子供ながらに震えるほど面白い話をたくさん聞いて育った。兄のパウルがピアノを愛することにした時、ルーイはパウルの練習する音色の流れを愛していたから、ピアノはあきらめて別の卓越を探っていた。要するに、ルーイには起こっているかいないかにかかわらず、世界は存立させられた。それもいくらでも。
しかし、ルーイは決めたのだった。目の前で起きている全てこそ世界である、それが真実だと。なぜなら、もうあの生家には戻るべくもないし、あの面白すぎた話も記憶の中でしか聞けない。死んだ兄たちとも会えないし、大切な友人が自作の詩を語っているときの恍惚けた顔も、もう見ることがかなわない。ルーイは書き留めた。いま起こっている全てのことは、いま存在している出来事のことだ。それが事象だ。なぜなら、いま成り立っていない出来事は、かつてのわたしに起こった思い出にすぎないのだから。
そう考えて、ルーイは泣いた。とめどなく涙が流れるのを、眉間を顰めて人に見せまいとしたので、彫りの深い眼窩がますます深くなる気がしたが、気にしているいとまはない。なぜなら、このいまがあまりにも無意味だからだ。争っているものは本質的にどこにもないのに、ではわたしはなんのためにこの戦場にいるのか。なんのために自分の命をかけてここで生活することにしたのか。ルーイには明確だった。なんで兄たちは死んだのか、その思いを知りたかったのだ。兄たちが死ぬ前にどんな状況に自分を置いたのか、それを体験できれば、なぜ兄たちがそんな状況に自分を置こうとしたか、思いを馳せることができるはずだった。
しかし、ルーイがいくら考えたって、意味をなさなかった。兄たちは死んだ。ならばわたしがここに来た意味もない。これを知るためだけに、わたしはいまここに来たのだ。浅はかな愚か者、と心の最内奥に銘記した後、ルーイは続けて記した。意味がないなら、それは考えているとはいえない。いま起きていないことをいくら思い出そうとしたって、いま起こっている絵にはなりえないんだ。昔見た画家たちは、みな豊かな絵を描けたが、いまわたしに与えられた絵具は、紙とペンしかない。だから、わたしは意味のある絵を描くために、言葉を使う。その使い方をわたしは探究したい。争いが終わった世の中に、絵の描き方を残すことしか、わたしにはできそうもないのだ。そうして描かれたたくさんの絵を見て、子供の頃のあの幸福の意味を考えることは、叶いそうもない夢なのだ。でも、わたしにとって意味がある光景とは、その幸福な子供の頃の像の他にない。わたしが存在している意味は、そこからしか湧き出ないことほど、わたしにとって確かなことはないからだ。
そこで、ルーイは思い切った発想に出た。身を切って飛ぶ思いだった。あの子供の頃の幸福な像と、いまこの無意味な現実とを橋渡すことを考案したのだ。ルーイは生きているのだから、どちらも成り立つ世界、同じ世界なのだ。ルーイは己の数学的才能を、この時ほど寿いだことも、また、呪ったこともなかった。同じ、と考えることの意味とその暴力を考えたこともなかった。あれだけ論理学に没頭してきたというのに。「浅はかな愚か者」。ルーイの心は亡びて死んだ。だが、争って人を殺すより、人に無意味のうちに殺されるよりは、まだ軽かった。
私はだらだらするのが好きだ。おそらく今ではもう以前ほど好きではないが。
子供の頃に戻ったように、ルーイはだらだらと思い出に耽っていた。もうその頃が戻ってくることはない、このことを自分で証明に使ったのだから、純粋な思いではなくなってしまったが。ひょっとして、ラムジーも似たようなものかもしれない。なぜって、彼も純粋な世界に憧れていた人の一人だったからだ。
彼は嫌な魂の持ち主ではなかった。彼は音楽を本当に楽しんだし、理解もしていた。――ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲の一つの最終楽章について、ここで天が開くように感じる、と彼は私に語った。
そう、あのケンブリッジで論理学を学んでいたとき、ベートーヴェンが好きなんだ、と話しかけられたことは何度もあった。そのなかには、単にベートーヴェンと同じ名前であることを指摘しただけの輩もいた。ただ、ラムジーは違った。
音楽が彼にどんな影響を及ぼしたかも彼から見て取れた。
ラムジーには感性があったのだ。死を知ろうとする感性だ。だから、なおさら、フロイトが憎かった。
そして、彼がこう語ったとき、それは何かを意味していたのだ。
ルーイは第16番を脳内に流しながら、昼下がりのベッドの上で天井の照明を見つめていた。三か月前までラムジーの生きていた病床で、天から光が軽快に射し込んでいたことを思い願いつつ。
1930/4/26
いくばくかの勇気なしには、一度たりとも、人は自分自身に関するまともな考察を書くことはできない。
この一文で日記は始まる。
残りの、そしてもっとも大切な自分自身について、まともに向き合う覚悟をここで表明している。ルーイがこの自身についての考察を生前公表しなかったのは、気恥ずかしさもあるだろうし、明晰に記述できる可能性も理性も才能も、持ち合わせている自信がとてもなかった、ということ以上に、論考とそれに続く書物に並ぶ価値を、自分自身に認めていなかったからではと思われる。要するに、謙遜だった。
ルーイは、世界について考察しきって、形而上学の問題も言語観の転換によって解決した。そして、ケンブリッジで博士号を与えられ、奨学金を受け、講義で教鞭をとり、新たな原稿を執筆しはじめたころだった。田舎のウィーンでイースターが明け、職場のあるケンブリッジに戻った直後、この日記を彼はつけはじめた。
彼はこの日記を隠すつもりはなかった。後世の研究のために残す意図があった。編者が次のように書いている。
「しばしば自分の哲学的思考過程を同時に何冊かの手稿ノートに記入する習慣があった。」
自分の思考が記録として散逸しないように、複製していたように思われる。
「そこには時として個人的な性格の省察や文化史的内容の省察が混じっており、時にはそれらのうちの長短様々な長さが暗号体で綴られている。」
私的すぎる話題なのだろう、自分しか読めない暗号で記述していたことから、すべての思考記録を保存しておきたい意思も感じられる。研究として、あるいは生活の思い出として、であろう。
「その際しばしば同じ思考が、しかも時には同じ文書で異なった箇所に登場する。」
これは、彼の、命題ないし彼の考えた言葉への、こだわりが感じられる。いや、それが彼を支えていたのだろう。その言葉それ自体が、あるいはその言葉を生み出した矜持、またはそれが後世まで残ることへの反復的な衝動。
というのは、この日、ルーイは自分の才能や理性が、いずれ失われうるものだということから恐れや不安を感じていた。彼自身の生計が、その才能ないし理性に全く依存していたからだった。
いつ私から奪われるかもしれない一つの才能に、自分の職業がいかに完全に依存しているか考えると、私はいつも恐ろしくなる。きわめて頻繁に、何度もこのことについて考える。
かなり強迫的な反復が脳内を占めていたと思われる。もちろんこの背景には、戦場で閃いて記したあの論考の体験が焼き付いているからであろうけど、
とりわけ、一人の人間からいかにすべてが奪われうるかについて、自分がどれだけのものを持っているかを人が決して知ることがないということについて、そして、あらゆるものの中で最も本質的なものに人がはじめて気づくのは、まさにそれを突然失ったときであるということについて考える。まさにきわめて本質的で、それゆえ、きわめて当たり前であるがゆえに、人はこのことに気づかないのである。
そう、失ったことを、誰も気づかない、そして自身もあらかじめ失われると本当には気づけない、そして本質的に、人は誰でも気づかないことが当たり前の人間的性質だ、という前提のまえで、ルーイは恐れと不安に満ちている。
私はとても頻繁に、というか、ほとんど常に不安で満たされている。
私の頭はとても興奮しやすい。
これは、広い興味を持ってしまった者の宿命である。好奇心から、刺激に大きく感受してしまい、知的な感情の振幅が大きくなっている。心の安定をすでに得られくくなってしまっている。
自分は一種の精神的な便秘を患っている。それともこれは、腹の中に実はもう何もないのに吐き出したいと感じる時のような幻想に過ぎないのか?
ルーイには、何か自分の腹部だろう、そこにまだ語り足りない、あるいはいつまでも語れる言語製造機のような発生源を、みとめたのだと思う。そして、それが幻想のようなものにすぎないかもしれないことも半分悟っている。何も言いたいことがないのに、思考が続いて、言いたいことが出てきて、現にこの日記に書きつけられている。
私は何度も、あたかも自分の中に何か塊のようなものがあり、それが柔らかくなりそうになると私を泣かせたり、あるいは私がそのときにふさわしい言葉(あるいはひょっとするとメロディーですら)を見出すのであるかのように感じる。しかしこの何か(それは心なのか?)は私の中で革のような手触りがして、柔らかくはならないのだ。それともただ私が臆病で、体温を十分に上げられないだけなのか?
ルーイのみとめたこの腹部の「革袋」は、感情によって柔らかくなると涙を流させ、言葉を見つけてくる。それを、彼は、これが本当の心なのではないか、と純粋に考えてようとしている。心といえば柔らかいはずだが、というか柔らかく和やかであるべきはずだが、彼の発見した心は、とても柔らかくない。それを彼は、性格のせいや物理的な条件のせいにしてみている、が、本気でそう考えたいとは思っていない。
折れるにはあまりにも弱すぎるという人間が存在する。私もその一人だ。
私の中でおそらくいつか壊れそうで、そして時としてそれが壊れるのではないかと恐れる唯一つのもの、それは私の理性である。
そう、彼はパスカルの葦をもじるほどに、自分が弱いことに、強烈な自覚を持っている。そして、論考を書き終え、教鞭をとるほどの、その理性が、最も脆弱であり、そして彼自身でも、崩壊するだろうと恐れうるのはその彼自身の理性しかない、ことをここで表明している。
彼の構築した言語世界観は、確かに強靭なように思われた。しかし、構築し終えたばかりの彼の理性は、少なくともこのときは、ひとくきの葦のごとく、最も弱く脆いものにすぎなかった。己の理性の脆弱さを理解することが、哲学の目的であったかのように、である。
時に私は、自分の頭脳がいつか酷使に耐えられずたわんでしまうのではないかと思う。なぜならその能力に比べて恐ろしいほどのことを要求されているからだ、少なくとも私にはしばしばそのように思えるのだ。
多くの教養を積み、それをまとめあげ、世界で話題になるにつれ、ルーイに寄せられる期待も高まるが、今の彼の脆弱な自己ではとてもやっていけそうもない、壊れてしまいかねない、それをこのはじまりの日は、ただ不安の中で恐れていたのだ。